選択の自由

ブログを御覧いただきありがとうございます。

津軽三味線奏者の佐藤壽治です。

 

 

いい御身分の朝食。

 

年が明けてFacebookを眺めていると釣り仲間がすでに初釣りでよい釣果に恵まれていました。

 

幸先いいというか、昨年から非常に釣果がいいのが「アジ」でして、市場では不漁で高値が続いているんだとか。

 

見たのはヤフーニュースですし、ちょっと地域もわからないのでなんとも言えませんが、アジはたくさん釣れてます。

 

そんなFacebookを眺めながらふと気づいたのが「釣りに行こう!」と思わない自分です。

 

わたくしの趣味は釣りで、アジを釣るのも過去にはやってました。ルアーフィッシングで魚を狙っての釣りはいろんな魚に対してやってきたのですが、なんか燃えるものが無い。

 

はて?いつからそうなった?

 

「いろいろ見えてきたころから」

きっかけはメバルを釣ろうとしていた頃。冬に盛んな釣りなのですが、水温低下で魚の活性が下がるのを気にしないと釣れない事がわかったからです。

 

当時の釣りスタイルは早朝に起きて子供たちが学校(幼稚園もかな)へ行くまでには帰る短時間釣行でした。釣りに詳しい方ならわかると思います。朝マズメというゴールデンタイムをピンスポットで狙うという釣りをしていました。

 

これが冬のメバル狙いには向いてなかったのです。一日中寒い冬ですが、日の出ている時間帯には少し気温が上がり、それに伴って魚も夕方へ向けて活性が上がっていくわけです。

 

活性が上がるというのは「ご飯を食べるために動く」という事なのでイコール釣れ易いという事。

 

そして夜が更けると気温が下がっていき、夜明けに向けて水温がどんどん下がってきて魚の活性も下がる…釣れにくいというわけです。まったく釣れないというわけではないのですが、ほぼ釣れません。

 

「習性を釣る」

 

よく釣りで出てくるキーワードなんですけど、ルアーフィッシングは猫じゃらしで猫と遊ぶのに似ています。獲物と勘違いさせるというより、反射的に動かしてやるという感じです。ついつい咥えにいってしまった、そんな反応を釣り人が引き出してやるわけです。

 

ここに必要な要素がいろいろとあって、なにかが欠けていく毎に釣れにくくなっていくのがわかってきたんです。

 

ですから、自分の釣りスタイルの中に合う釣りをするようになりました。釣れない釣りも楽しかったころもあったんですけど、やっぱり釣れる嬉しさと食す楽しみの方が勝ちました。にんげんだもの。

 

 

「あれ?仕事も同じじゃん」

 

 

わたくし津軽三味線を自分で演奏したり、人に教えたりする仕事をしているのですが、津軽三味線が好きなのであって他の三味線が好きなわけではありません。

 

興味もないかも…って話は過去に記事にしたことがあります。

 

いろいろとわかってくるとアレコレとなんでもやっていくって事が難しい事・無理な事が分かってきます。出来る人はいるんですが、それに自分がなれるかどうかという事がわかってくるわけです。

 

わたくしの場合はいろいろと出来ない人側だったのと、たまたま興味の向く先がひとつで満足だったことがよい影響を与えてくれました。たぶんいろんな事をしていたら大会で優勝したり、他人より上手な域まで行けなかったと思います。自然の流れの中で正解だったんでしょうね。

 

そしてそれをもっともっと細かく見ていくと、好きな曲嫌いな曲みたいな感じですけどいつもお稽古する曲としない曲とか見えてきます。

 

あー、やっぱりこの曲からお稽古するのね。

 

そんな事があります。

にんげんだもの。

 

選択肢はたくさん用意されているんだけど、それを選ぶのは自分の責任であり自由なんだ。その中でどうやって自分を高みの世界へと向かわせるかを考えるのが楽しいんだろうな…なんて正月三が日の朝食中に盃を見ながら思いました。 

 

趣味の世界は泥沼って言われることがありますけど、その泥沼でもがくのがおもしろかったりするんです。泥沼なんて入りたくないし、汚れたりもしたくはないんですけど一度は入ってみたくなるんです。

 

そうして経験していくと入っていい泥沼と入ってはいけない泥沼が分かってくるんでしょうね。

 

さて、お神酒を飲めるのは今日まで。

明日からはきちんとしよう。

 

ではまた。