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津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
師匠ってなんでも上手である必要ってあるんですかね?
日本全国に民謡が何曲あるのか知らないのは仕方ないですけど…それを真に受けて稽古するってのもどうかな。
好きでお稽古するのはいいけれど・・・
いつからそう思うようになったのか。
今住んでいる家の前からすでにそういう考え方になっていて、教室でも教え方がどんどん変わってきています。
以前、AOSSAという福井駅近くで会議室を借りていたあたりからかな…
『津軽三味線だけ上手でいい』
なんでそれだけでいいのかというと、津軽民謡が好きだから。
同じ青森県でも津軽以外の民謡は聴きはしても、好きではありません。
お隣の秋田県、北海道、岩手県の曲や、有名どころの曲も聴きはしますが好きではありません。
弾けないわけではありません。
民謡の教室では弾いていますし、コンクールに出場する選手がいればなんでも弾きます。
けど、好きではないのです。
心から好きと言えるのがまた津軽民謡でも一部だけで、実は未だに弾けない曲があります。
けど、それでいいと今は言えます。
習いに来る人達ってなにを思って習いにくるんだろ?
津軽三味線は難しいです。
右手も左手も訓練が必要で、自由に動くはずの指が動かないという経験をしてから初めてお稽古に入れるようなものです。だから先生達は気を使って簡単な曲を複数使っていくわけですが・・・津軽三味線じゃないんですよ。
津軽三味線教室、最初の一曲は「黒田節」です!
民謡は民謡なんですけど、最近見学に来る方の頭の中にあるのはほぼ大半は吉田兄弟です。派手で躍動感があって楽しそう!という感覚で教室に来るんですが、そこでしっとり落ち着いた感じの曲をあてがわれるのもどうかと。
そしてひと昔前なら黒田節は誰でもわかるようなくらいの曲でした。
でも民謡ブーム去りし現代では「へー」という言葉で終わってしまいます。
最初からかましの練習でいいじゃない。
楽しい時ってつらい事を辛いとは感じません。
むしろ困難であることが燃え上がる情熱にガソリンが注がれたかのようにさらに燃え盛ります。
日々、少しずつ動くようになる自分を見ることが『生き甲斐』となります。
大袈裟なんじゃなくて、通い続けたひとはだいたいそんな感覚で習い続けてます。
当然、挫折もあります。
そこはそれで、まぁ、そんなものですよ。
だってむずかしい楽器ですもの。
でも、むずかしい楽器という事が分かった、経験しただけでも違うようです。
生徒さんを迎える私はどうなの?
自分はなにを演奏したいんだろ。
なにを教えたいんだろ。
津軽三味線のなにを伝えたいんだろ。
そんなこと考えてたら前述の『津軽三味線だけ上手でいい』ってなったんです。
そこが私の心の真実だから。
しかも曲は偏ってます。
偏ってる代わりに深くなってます。
広く浅くなんてのは性にあわないし、好きなものを好きなだけっていう…一番の贅沢をしてます。
幸せじゃないですか。
プロという肩書って「それ以外なにもできない人」って意味でもあると思います。
ただ、プロの肩書には広く全世界の意味を盛り込みます。
そうだな、わたしはプロより職人になりたいです。
こう書けば伝わるんだろか。
ではまた。
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