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津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
ここまで書いてきた事は皮肉感も混ざった記事だったので、今日はわかる人にはわかる笑ってしまう津軽民謡界のお話。
けれど、わからない人にとってはかなり理不尽な話かも・・・。
津軽三味線って二度目のブームを迎えてるんだと思ってます。
ブームと言えるほど爆発的な何かというのは世間的には弱いかもしれませんが、それなりにいろんな音楽に津軽三味線の音が加わるようになりました。
そのとっかかりとなるのは上妻宏光さんや吉田兄弟、はなわちえさんや和楽器バンドと時代の流れと共にいろんなジャンルの音楽と融合し、津軽三味線の可能性を追求してきたからです。
さて、その津軽三味線。
もとは津軽民謡に伴奏するために存在しているので、そもそもその発展の素は津軽民謡にあります。即興演奏が特徴とされる津軽三味線ですが、なんで即興演奏することになったのかは津軽民謡にあるわけです。
津軽民謡は時代によって歌い方を変えてきたものがあり、その時々に新曲として発表されてきた歴史があります。うちの先生の話では「津軽は稼ぐための唄だものな」と周りから言われたようで、流行というものを作り上げていった先達者の知恵のすばらしさを体感することが出来ます。
元はどの唄も伴奏楽器が無かったものでした。ある時から伴奏楽器を取り入れ、興行でウケるために新曲を作り、さらなるギャラを稼いでいた歴史が今の津軽三味線が世界に出ていけた根幹だと思います。
さて、稼ぐための楽器となった姿は最近は伴奏しているスタイルから、楽器単体や他楽器奏者との共演というスタイルに変わったわけですが、津軽三味線を理解するためにすべての演奏者が伴奏を体験しています。
その伴奏にはなかなか理不尽な事も多く、なんでそうなのか説明が押し切られてしまう事も。
必ず出会う悩みのタネが、拍子が「裏になる」というもの。
唄い手さんに伴奏している時。今まで手を叩いていたところでちょうどになっていたものが、手をひらいたところでちょうどになってしまう時があります。その状態は裏になっているので、表に直さなくてはなりません。
しかし、表になおしたかと思うとまた裏になります。
なんで裏になるんだよ、とまた表になおすと再び裏になります。
結果、「ちょっと。ちゃんと合わせろよ」という事に。
いや、合わせる以前に裏になったり表になったりするのはあなたなのであって、私はきちんと表裏を分かりやすくさばいているので、ある程度あなたも合わせてくれるような気持が、ほんの、ほんの少しくらいはないといけないんじゃ…なんて気持ちは羽よりも軽く一蹴されます。
唄が変わったのなら、唄に合わせるのが当然だろ…という感じで終わるパターンが大半です。がんばったのになんて理不尽なんだ😥、と思うことが珍しくありません。
曲目でいうと数え唄なんかは多いですね。
あっちいったりこっちいったり。
かなり伴奏者に余裕がないと対応できません。
しかし、ここに舞台の考え方・心構えというのが現れています。
かなり広義となるので、実際に注意を受けている時は全くそうは思えませんけど😆
【主役中心である事】
【失敗とは】
この2点を考えるとさっきの理不尽さが、理不尽に聞こえなくなってくるんです。
さて、なぜそうなのか…
つづく。
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