ブログを御覧いただきありがとうございます。
津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
譜面について前回は触れました。
意見→こう考えるという内容が混在してしまいましたが、譜面についてはいやな思い出もあるもので…
もっともっと譜面は広がった方がいいし、文化継承が進んで欲しいと思います。
そして譜面を利用する人は譜面の完成度は高くても、その曲の舞台となる地域の風情を感じに行って欲しいです。
簡単に旅行に行くだけでもいじゃないですか。
祭りで唄われる曲なのであれば、祭りが開催される日に行かないと難しいですけど、食事してみたり氏神様にお詣りしてみたりすればなにか感じるはずです。
「あ、いい曲だな」
という感覚に情景を重ねられるようになって欲しいです。譜面を書く側も完璧に書き、譜面で勉強する側もその地域に出向き体験する。曲の完成度はいやでも上がります。
あと文化継承ですけど、譜面という存在でかなり助かるんじゃないかと思ってます。
確かに地元の若い担い手がいない…と悩むのはわかりますが、若者の都会へ流出することを嘆きながら地元の人間!という事にこだわりをもつのもどうでしょうか。
生活あっての文化、という事も考えないといけません。
生活するためには稼がないといけません。稼ぐためには都会へ行く、そういう考え方っておかしい事じゃないんですよ。子孫繫栄という目標のために必要な事なんですから。出ていった人だって全員自分の生まれ故郷を忘れるわけじゃありません。
そして出ていく一方という事もありません。
入ってくる人もいるわけで、その中には地域愛が深くなる人もいます。
テレビだと海外からきた人をよく取り上げますよね。すごく真面目だし真剣です。すごい人もいるもんだと私も感心して見てます。テレビ内では地元のひとが学ばなくてはならない、なんて解説されたりね。
でも海外からきた人ばかりの話じゃないですよね?
県外から入ってくる人の中にもそういう人っていませんか?
そういう熱意を持った人に文化継承してもらったらまずいですかね?
守らないといけないもの。
ありますよね。
自然でも、文化でも、法律やその地域のルールなど確かに存在します。
ただ、へんなこだわりを加えてしまい、屁理屈になってる時もあるんです。
津軽民謡界だと「津軽らしくない」という言葉がありますが、じゃあ「津軽らしさ」を説明できるんでしょうか。わたしは説明出来る人を知ってますけど、その説明が全員出来るとは思えません。地元にいる人でも説明できない人の方が多いでしょ。
もしかすると大多数の人が屁理屈を聞かされてるかもしれませんよ。
話を譜面に戻すと、そんな屁理屈が存在しないのが譜面だったりするわけです。
文字という情報以外なにも書かれていない事が吉となります。
譜面って都合がよくなる部分と悪くなる部分が混在してるんです。
より完璧に近い譜面がひろがってくれれば、文化継承も簡単になるんじゃないかなぁ・・・と思うわけで。
じゃあ、うち(重造会)の譜面はどうなのかというと…
それは言えません。
ではまた。
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