ブログを御覧いただきありがとうございます。
津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
ここ最近、身の回りでいろんな事(あまり良くない事)が起きてるんですが、これも年度が新しくなったからなんでしょうね。
先日の記事だって、動き出していくときに起きる摩擦みたいなもんです。ただ、正直申すとこういう類の事って、だいたい人を巻き込んで動きます。
巻き込んでなんか欲しくないんですけどね…地位、権力なんてのは舞台に持ち込みたくないですね。
さて、わたしなりに業界の中身というものを見てるんですが、コロナ禍の影響以前から浮き彫りになっている事があります。
その辺を書いていこうと思います。
テーマは「これって変じゃない?」です。
わたしのお仕事の中でとても大事なのが「流派の繁栄」という事です。ある程度の期間お稽古を積み、自己研鑽した後に生徒さんには独立を促します。
独立する際には流派の看板を背負ってもらいます。看板には困ったときの頼りとして使ってもらう意味が含まれます。
自身の手に負えない生徒さんが育った場合は、自分の師匠や流派の高弟にお願い出来ます。新たに生まれる素質をより輝かせるために流派で支えます。そうすることで自身も流派も伸びていきます。
師匠を超える弟子を育てる、そういう命題を果たしている流派というのは実際数が少ないです。
しかし、そういう流派は無いのではなく、あるんです。
流派を名乗るならそうありたいですね。
さて、その中で重要になるのが「どこまで伝えられているか」であり、「どこまで伝わっているか」です。基準が設定されているところであれば、初伝、中伝、奥伝、皆伝というものが目安になります。わかっている人なのか、わかったような様子の人なのか、わかったふりの人なのかを見極めなくてはなりません。
困ったものですね。
同じくお稽古しているつもりなんですが、受け取る側の受け取り方で意味が変わってしまう事があるんです。
政治家や官僚がお好きな法解釈と同じようなところがあって、その人の都合の良いように変わります。
いやですねー、政治家や官僚へのヒニク表現。
でもそんな感じなんですよ。
年月が理解を変えることもあります。
経験が理解を変えることがあります。
そのひとがどうやって理解を深めるのか黙って見守ってあげなくてはなりません。
人は忘れるものです。
人は変わるものです。
それらをすべて飲み込んでいるのが師匠です。
伝えようとしているのですが、伝えたいこととは違う理解をされてしまう事が多々あるのが師匠という人です。
間違いが起きそうな気配があれば修正しておく。
苦言を呈する、それも師匠の務め。
好かれるばかりが師匠の仕事じゃないんです。
とはいえ、師匠も稼がないと家族を養えません。
いつしか、理解を変えて商売に走ってしまっているのも事実。
ゆがんだ師弟の関係、機能していない徒弟制度、末端が困るだけの家元制度。
少しマシになってきた気はしますが、そんなものが見え隠れしてますよね。
そんなテーマを書いていこうと思います。
ではまた。
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