「お稽古」これにて一旦お休み

ブログを御覧いただきありがとうございます。

津軽三味線奏者の佐藤壽治です。

 

5月はシリーズ投稿で「お稽古」というお題を考えたのですが、自分を見つめなおす機会にもなりました。

 

【なんのためにお稽古してるんだろ?】

 

習っている人も、教えている人も。

個人で津軽三味線を楽しんでいる人も、大勢の人を相手に津軽三味線を楽しんでいる人もお稽古は必要です。

 

その必要な根源ってなんなんだろな?と。

 

ひとによっては次の舞台を目指すためにお稽古をする人もいるでしょう。大会で良い成績を修めるためにお稽古する人もいます。

 

しかし、お稽古したから上手になるんでしょうか?

去年の今日より、今年の今日の方が上手になっているんでしょうか?

結果に満足できない場合、お稽古できていないという事なのでしょうか?

いつまで経っても出来ないのはお稽古が不足しているという理由だけなんでしょうか?

 

問いかければ問いかけるほど、お稽古はむずかしいものです。

 

わたくし、以前はお稽古を修業と書いていました。

身につけるために何度も何度も繰り返し演奏していたからそうしたわけです。

 

しかし、最近は修行になってきてます。

演奏家というものって、行き着くところまで行くとどうしても宗教めいた世界観へ移っていく、と先生から聞いたことがあるんですが、まさにそのまんまです。だんだんと身につけるため、技術習得のための意識がなくなっていくんです。

 

そのうち技術なんてものは関係なく、音にどうやって向き合うかの意識になっていきます。

 

簡単に【お稽古】と口に出来なくなるんですね。

 

最近は舞台活動をする上で厳しい世の中になったので、余計に考える時間が増えました。舞台も無いのに、生徒さんも減っているのに、なんのためにお稽古してるんだろ?Youtubeチャンネルもあるので、それなりに演奏活動している風ではありますが、仕事になっているわけでもないです。

 

お金にもならないものを一生懸命にやってどうするの?

それを仕事にしてていいの?

家族はどうするの?

 

真の芸人さんなら考えないんでしょうけど🤣

 

 

いろいろ考えさせられるテーマだけに更新する前に思慮する事が増えました。

 

 

引退についても考えました。

いつ辞めるんでしょうね?という事も大事です。

辞める判断はお稽古中にするという事も決めました。

舞台で下手打って辞めるのだけはしたくないです。

この気持ちは固くなりました。

 

そのうち腕は落ちるだろうから、その時にきちんとプロを辞めようと思います。

友達が集まった時にたまに弾くくらいの向き合い方にしようと決めました。

 

ま、それでもお稽古はするんですけどね。

なにもしなければ指は動かなくなるし、手順は身体から抜けていきます。

抜けない程度に、動く程度に津軽三味線に触るような生活もいいんじゃないですかね。

 

今回のシリーズ投稿は重いテーマでした。

 

あっはっは。

 

ではまた。