ブログを御覧いただきありがとうございます。
津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
闇の素は自分の中にある、というところまで来ました。
出来ないという事象の原因は、体の使い方と考え方で解消できると思います。
例を挙げると、打ち方ひとつとっても、角度はこうですか?強さはこんな感じですか?腕の振り具合はこんな感じですか?と確認を取られることがあります。
体の使い方はOKなんですけど、考え方はNGですね。
考え方の中に「音」というものが常にくっついていないといけません。
その動きで出てきた音は心地いいですか?力強いですか?感情は表れていますか?
出てきた音が正解なのです。
わたしが出している音とドンピシャ同じ響きが出れば正解です。
たまにですけど、お稽古に来た生徒さんの三味線を使って演奏する時があります。
その時の音と同じ音が出ていれば正解なのです。
ただ、これも「わたしのいる地点では」という条件付きです。
本当の正解はまだまだ高みにあります。
わたし自身の考えですが、現代の津軽三味線奏者は、過去の津軽三味線奏者より劣っています。
技術、感情表現、そして聴く人を惹きつける魅力。
すべてが劣っています。
評論家と言われるひとは称賛しますが、まったく見当違いと思っています。
自分も含めて。
それくらい先達者と呼ばれる人たちはすごい表現者でした。
わが家にそういった音源がいろいろあります。
津軽三味線だけじゃないですね。
唄にしても同じです。
同じ土俵に立っている人はいません。
そう言い切れます。
聞けばわかります。
戦慄する、という言葉が当てはまります。
白川軍八郎や木田林松栄といった奏者もそうですし、その次の世代の人たちもそうです。
到達している場所が違います。
もしか、そういった音源に触れる機会があるひとは幸せです。
その音源で感じることをそのまま自分の演奏に乗せていけばいいんです。
目標がはっきりしているので、ある程度近道でその場所へ迎えるはずです。
わたしも近道しているうちのひとりです。
家族がそういう人ですし、家にはそういった音源があります。
聞ける相手がいて、その裏付けがとれる音源があります。
これだけあれば、あとは自分でなんとかできます。
やる気と根気さえあれば・・・。
と、ここまで書いていくと「音源聴かせてよ」という声が聞こえてきそうです。
聴いてみてほしいので準備をします。
ではまた。
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