ブログを御覧いただきありがとうございます。
津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
大型連休に入るその日から更新が途絶え、横浜にぎわい座の「民謡どうでしょう?Vol.6」も無事終了。
青森で開催された津軽三味線の大会も終わりました。
民謡コンサート「民謡どうでしょう?Vol.6」にはたくさんのお客様にお越し頂き、本当に嬉しかったです。
コロナ禍でお客さんが来るのかどうか不安でした。
もしかしたら公演自体が無くなるのではないのか、と思った時もあったくらいです。
また来年もお願い致します、と代表の角田洋若さんがあいさつした時に起きた拍手があたたかく感じました。
お稽古を積み上げる意味がここに詰まっている、そう思いました。
ありがとうございました。
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さて、シリーズ「お稽古」の投稿もずーーーーっとお休みしていたわけですが、続けていこうと思います。
大会が終了し、次の大会へ向けてと動き出しているひともいるでしょう。
参考になれば、と思い綴っていこうと思います。
闇の素の解消で、前回の記事では自分自身に原因がある。
その素のひとつに「妬みの感情」がある、という所まで書きました。
お稽古とは自分との闘いです。
自分の今出せる音はどうなんだ?と自問自答するのがお稽古の本質です。
闇の素は人の心の隙間を狙って入り込んできます。
向上心でいられる期間はまだいいのです。
向上心がいつしか折れてしまう時があるのです。
それを挫折と呼ぶのかもしれません。
何回やっても出来ない。
何時間経っても出来ない。
くやしい。
こういう状況に陥ったのは自分が原因なのですが、その原因をどう解消するのかを考えるのもお稽古です。
お稽古への取り組み方で、弾く稽古と聴く稽古の二つをわたしは教室で話をします。
弾くだけのお稽古は確かに身に付くのですが、それだけでは完成しません。
完成するためには自分の演奏を聴かなくてはなりません。
誰が聴いてもおかしくないように。
誰が聴いても心地いいように。
そこまでの完成度を目指すのに、弾く稽古だけでは足りないのです。
自分の欠点を見つけるために、自分の演奏を聴くんです。
聴くことで自分の出来ていない部分が浮き彫りになります。
ここも闇の素が出来るきっかけですね。
しかし、わかった闇の素は即直せば、消えてくれます。
気付けなければ、他のひとに気付いてもらえばいいのです。
【ねぇねぇ、オレサマの演奏聴いて?】
気軽に意見を言ってもらえるひとがいるといいですね。
もしかしたらそういう存在は兄弟弟子なのかもしれません。
【いい出来だと思うんですけど、どうですか?】
真に不出来を突いてもらいたいなら師匠に相談でしょう。
指摘できないほどになれば、師匠に認められた証拠になります。
教室とは確認の場所だと思います。
そして失敗が許される場所だと思います。
お稽古中にミスの言い訳を考える事もあるでしょう。
でも、その必要はないのです。
そういう場所なんですから。
闇の素は自分から出てくるもの。
その素を消すことはわりと簡単です。
必要なものは仲間、同じ道を歩む人、先達者です。
さて、次回は先達者について書こうと思います。
お稽古には目指すものが必要です。
それを提示してくれる先達者という存在。
大事なお話は続きます。
ではまた。
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