お稽古③

ブログを御覧いただきありがとうございます。

津軽三味線奏者の佐藤壽治です。

 

 

明日の準備をしてたのでYouTubeチャンネルの毎日投稿はお休みします。(サボりではない、決して)

 

闇の素はまだ消えていませんよね。

昨日の記事では解消まで届きませんでした。

 

 

今日は闇の素の正体についてもう少し深く考えます。過去記事を読んでもらうとわかるのですが、闇の素は自分自身で作り上げたものです。

 

 

三味線を触るのが楽しくてしかたなくて、撥や三味線を乾拭きする時ですら嬉しい時は周りは光だからけです。

 

闇なんてものは微塵もありません。

 

 

しかし、ある程度弾けるようになってくると、「向上心」というものが生まれてきます。そして「耳が肥える」ということも身に起こります。この二つが闇の素を作り上げるきっかけになります。

 

 

『もうちょっとうまくなりたい』

 

 

こうなると苦労の始まりです。

演奏中の少しの間の違い、音程の違いが気になってきます。

そしてなかなか緩やかに動いてくれない自分の指のゆすり加減。

たまに絃を外してしまうスカ撥に、引っかかってしまうすくい。

 

全部治そうとおもってお稽古を始めると苦痛を伴います。

 

指があかくなってヒリヒリする人。

手首が重だるくなってしまう人。

肩が、腰が、背中が、太ももが、まさに身を削る思いでお稽古することになります。

 

 

『なんであんな音がでるのかな?』

 

 

上手な人の音を目指すのも苦労の始まりです。

撥の角度や力加減だろうか?

それとも楽器自体が違うのだろうか?

頭の中で違いを探す毎日。

 

 

毎日で済めばいいですが、三味線の音を聴く度になったらどうでしょう。

 

ほんとは好きなアーティストの三味線。

それが苦痛の対象になってしまう事もあります。

精神をやられる、というとオーバーかもしれませんが、そこまで思い込んでしまう事もあるんです。

 

 

 

さて、

≪苦痛は妬みから生まれる≫

わたくし、そう思ってます。

 

 

人間って自分より上のものを持つひとがいると、うらやましいだけではなく妬むこともあります。かく言うわたしも、人が持つ釣り道具を見てものすごくうらやましく思います。高級機種を使ってみたい!所有したい!けどお金が無い!なんでそんな道具持てるんだ!と心の中で絶叫しています。

 

人から奪うのは犯罪。

だから懸賞などがあれば応募します。

お金持ちになりたいから宝くじも買います。

 

でもね、当たるわけ→自分のものになるわけないんですよ。

そこが自分の今いる地点だから。

その地点から上にいくなにかをしなきゃならないんです。

 

そう思ってます。

 

釣りだけ見ていると、そう大差ないくらい努力しているんです。

けど、仕事は?と言われると同じくらいの努力してるでしょうか?

釣り具に関しては収入の差というのは、釣りの腕前とは関係ありません。

そして収入は釣りで得ているわけじゃありません。

 

 

じゃあ、人が持っている道具ってのは釣りがうまくなったから得られる対価ではないですよね。

仕事を頑張ったから得られた対価ですよね。

妬む矛先がどこ向いてるのかよく考えなくてはなりません。

 

【魚は道具で釣るもんじゃないよ】

道具に悩むひとへ向けた言葉ですが、この意味がとても深いのです。

魚は情熱で釣れるものなのだそうです。

よく分かります。

 

魚を釣っているのは楽しいです。

でも釣りたい魚を探している時はもっと楽しいのです。

ここにいるかな?あそこにいるかな?とあちこちボウズで歩くときも楽しいのです。

 

その結果、魚を手にすることが出来たなら、ほんとに人目をはばからず叫んでしまうものなのです。

 

人がたくさん釣ってたりするとうらやましいです。

自分が知らないポイントを知ってる人がうらやましくなります。

 

教えてもらえばすぐに手に入る魚もいます。

 

けど、その人だって教えてもらうこともなく同じくあちこち苦労して探したのかもしれませんよね。

仕掛けの作り方や道具の管理、道具の使い方に苦心した人かもしれませんよね。

自分だけが苦労しているわけじゃないですよね。

 

おっと、釣りの話に熱が入り過ぎました。

まだ闇の素の解消まで進んでません。

釣り熱で熱くなった頭を冷やすために、今日はここまで…

 

ではまた。