ブログを御覧いただきありがとうございます。
津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
今日の演奏
お稽古について考えてみよう。
シリーズ投稿のテーマにしますが、どこで終わるのかは分かりません。発信したいことが多ければ、長くなるだろうし、短くもなります。また伝えたいことがまとまらなければ更新も途絶えるかもしれません。ま、それでもいいか、と思ってます。
さて、前振りのところではお稽古に潜む闇的な部分で話を終えましたお稽古には闇の部分があります、しかし闇ばかりではありません。光り輝く未来を見つけるために行うのもお稽古です。
闇が出来るのは光が生まれた結果です。光の部分が多いのか、闇の部分が多いのかは受け取る人次第です。ありきたりの答えであれば、どちらも同じだけなんだと思います。
しかし、わたしは光の部分の方が多いと思っています。
得られるものがそれだけ大きいからです。
人の笑顔、人の涙。
人がもつ感情すべてを引き出すことが出来るのが音楽であり、その術を得るためにお稽古を重ねているんだと思います。
上手くなっている、と実感できる期間を思ってください。
泳げなかった頃。
自転車に乗れなかった頃。
運転免許を取りにいっていた頃。
受験勉強をしていた頃。
部活で先輩から教えられていた頃。
上達しつつ、発展しつつある最初の時は光しかないはずです。
楽しくてしかたない。
わたしは釣りが趣味ですが、他の趣味でも同じはずです。三味線を眺めているだけで、ボールを触っているだけで、ゴルフクラブを持つだけで、グローブを磨くだけで、車を洗車するだけで楽しかったころは光に包まれています。
しかし、物が分かり始めるころから、その光を閉ざすなにかが生まれます。
「問題」や「障壁」というやつです。
技術向上するために、自分がより楽しくなるために、とのめり込んでいくうちに生まれてしまうわけです。
これが闇の素です。闇の素が出来たということは上達、発展しているということです。
ただ、出来てしまうと気になるんです。
年齢に伴って出来ていくシミやそばかすみたいなもんです。
気にしなくてもほんとはいいんだけど、なにかで隠すのは簡単なんですが、簡単に隠すのも永遠ともなると邪魔者になります。うまく動かない指やうまく動かない腕は、とかく生徒さんに闇の素を作らせてしまいます。
世の中にはあんなに自由に演奏する人間もいるのに…
目の前の師匠ですら、そんな闇の素になります。
でも、その闇の素。
ほんとは自分で作ったんですよ。
お稽古とは自分の鏡です。
自分づくりした結果なので、すべてを受け止めなくてはならないのです。闇の素を消す方法はあります。それを知っている、それを消滅させるために存在しているひとが師匠、先生という人たちです。当然、師匠、先生という人も闇の素の存在は知っているわけです。
しかしどうやって闇の素を消した(克服した)のでしょう。
ノウハウ的なもので取り入れられるのか、それともそうでないのか…
お稽古はいつまで経ってもまだまだまだまだ続きます。
ではまた。
民謡どうでしょう?Vol.6
令和4年4月29日 (金・祝日)
横浜にぎわい座 芸能ホールにて
12時半開場、13時開演
チケット 前売3,000円 当日3,500円
チケット問合せ
横浜にぎわい座 045-231-2515
DG5事務局 090-2211-5458(斎藤)
(有)紅屋 046-254-4681
(有)仁木三味線 090-5782-7408
E-mail : dg5@syamisen.com
そして出演者全員です。
重造会本部教室 0776-27-5010
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