道具に対する想い

ブログを御覧いただきありがとうございます。

津軽三味線奏者の佐藤壽治です。

 

 

シリーズにしてもいいのかもしれません。

演奏に必要な道具の説明です。

 

商品紹介みたいな事も含みます。

買うなら買ってもいいですけど、買って後悔する事もあると思うので話半分に読んでもらえるといいかな、と思います。

 

まず最初に三味線の弦に触れるものから。

 

三味線本体も大事なんですけど、道具として弦に触れる部分はわずかしかありません。糸巻き、根緒、上下の駒、そして撥。

 

指でおさえない限り、棹に糸が触れる事はありませんし、撥で叩かない限り皮に糸が触れる事はありません。

 

わたしが気を使ってる順ですけど、最初は撥を気にしてます。

この辺の順位は購入金額に対する効果で表すと変わりますけど、音を自分の手で操作できるものなのでこの話では1番上位になります。

 

さて、最近の撥は代替材料で作られたものがすごく良くなってます。

アクリル等の樹脂を使ったもの。カーボンを使ったものもありましたし、天然の素材ながらも加工がしやすい羊の角など素材が様々になり、そしてそれぞれが良い音を出せるようになりました。生徒さんにも薦めてますし、自分で使ってみてとても良いと感じてます。

 

ただ、舞台で使ってるの?と言われると答えはNOでして、舞台というのはある意味「見栄」をここぞと盛り込む場所でもあるので、格好つけるための道具なんかも持ってます。

 

格好つけるための道具はなかなかなお値段がするものばかりで、それを知ってるから「さすが」と褒めるひともいるくらいです。

まぁ、その手の高価な素材たちというのは音にはほぼ関係無いものばかりなのが真実なんですけど、近くで見られる場合もあるので抜け目は作らないようにしてます。

 

とはいえ高価なりに使う理由や意味はあるのですが、「スタジオミュージシャンとして演奏する時はどうする?」と問われたら1番いい音が出るもの、1番演奏しやすいものを持ち込むでしょう。

 

安価で見た目がとても悪いものだったりしますが、それに十二分に手入れがなされているもの・・・

そういったこだわりの結晶みたいなものが存在します。

 

とはいえ、高価でありつつこだわりにこだわった道具を手にするというのも夢ですよね。

 

撥であれば手元が象牙の撥というのは夢です。

あと飴色の美しい鼈甲なんてのも夢ですね。

 

ちょっとうんちくたれますけど、象牙に関してはひびが入ったり、欠けたり、重さが足りなかったりと選ぶのがかなり難しい部分があります。生き物の成長の過程である模様もあるので、お気に入りのひとつに出会うというのはまず無いでしょう。

 

鼈甲は飴色が多いものなら厚みがほしいですし、黒色が多いなら散り方をよく見ます。

手入れしてて気付いたんですが、飴色の部分は硬さを出すのが難しく、黒色の所は柔らかさを出すのが難しいです。

 

ある程度のしなりが無いと、皮と撥がぶつかって起きる衝撃はまともに手から身体へ伝わります。

近ければ親指、遠ければ肘や肩と不調を左右するのも撥です。

撥は非常に大事な道具です。

 

そうそう、大事なのは価格によって決めるという事もです。

予算が1番大事かもしれませんね。

 

夢の道具はひゃくまんえーん、みたいな金額だったら手に出来るひとはゼロに近くなるでしょう。

ぶっちゃけ象牙の撥はその域に近付いてますし、鼈甲の撥も手元が樹脂製でも10万円を超えてきます。

 

ひと昔前、黒い水牛の角を使った手元の撥は安かったものなんですけど、今は象牙の撥に迫る価格です。

白っぽい色の水牛の角なんて、ため息しか出ません。

 

ちなみに今預かってるこの撥。

価格はアレです。

お高いです。

お高いんですけど価値はあります。

 

この撥は出来上がる直前の状態で止めてあります。

 

「製品化されてない」と書くと感じがわるいですが、「これからカスタマイズする」と書くと分かりますかね。

荒削りの無骨な状態ですけど、ここから少しずつ音を聞きながら、手応えを感じながら、整えていきます。

 左が預かり中の撥。

右は普段使ってる撥です。

一目瞭然なのは鼈甲の厚みです。

写してませんが、手元の太さや全体の長さも一回り大きい状態です。

 

ここから先はある程度の知識ではなく、実際に撥の調整を見て覚えた方がいい話ですが、削って磨いての繰り返しをします。

柔らかくは出来ますが、固くは出来ないので慎重に調整していきます。

 

これをわたしは自分で、また生徒さんの撥もわたしが調整したりしてます。

 

 

そして時間の話ですが、自分の撥を調整していく時は1年以上かかりました。生徒さんの撥でも時間がかかったものはあります。

 

弾いてみて音や手応えもそうですが、親指や手首の具合なども見ながら、もうちょっと、あと少しの繰り返しで仕上げたわけです。これぞ自分の撥!と言えるものを作り上げたわけですけど・・・

 

元に戻ってこんな撥は「必要なのか?」というところ。

 

楽器の世界は時間とお金がかかるのはめずらしいものではありません。めずらしいものではありませんが、そこには夢もありますが現実もあります。

 

音への判断、価格への判断。

そこをどう選択するのか?が肝なのかと思ってます。

 

撥は自分の手。

自分の演奏の生命線と思って扱っています。

なんか伝わるのかどうか奇妙キテレツな文章になりましたが、わたしはそんな想いをもって撥に接してます。

 

さて、写真の撥は「預かり中」なので嫁ぎ先を探してます。

生徒さんに紹介もしますが、興味のある方はコメントでも入れてくださいm(_ _)m

 

それではまた。