ブログを御覧いただきありがとうございます。
津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
テーマのお話も10回目なので一旦区切りをしたいと思います。
10回目の記事で考えている事は「年齢」です。
自分の先生もそうなのですが、結構な年を重ねています。
舞台人という人種は端から見れば元気ですし、若々しく見えるものです。歌声や会話などを聴くと、本当に年齢のことを忘れてしまうような事があると思います。
しかし、家族として見ればそれなりに不調もあるわけで、いろんな事が辛くなってくるのも事実です。
これって師匠と呼ばれる人たち全員同じです。
「おれは違う!」と言いたいと思いますが、ざんねんながらそうはいきません。自分で気付かないようにしているか、隠しているだけで寂しくなっていくもの、無くなっていくもの、増えていくものがあるんです。
生徒さんの中には後期高齢者の対象になっているひとも存在します。
わたしよりはるか年上の生徒さんです。
へたすると私の先生より年上のひともいます。
子供の頃から見ているひともいるので、私的にはやっぱり年を取ったと思うわけです。
いろんな場所にそれは現れていて、そのひとつひとつは芸を愛し続けてくれている証拠でもあるので、わたしにとってはとてもありがたいものです。
『このひとの年齢まで自分は演奏家稼業を続けていられるだろうか?』
自分の先生を見ていても、生徒さんを見ていても、同じことをいつも考えます。時代の流れによって変わるのもこの稼業です。流行り廃りの激しい世界でもあるので、自分が今後どうなるのかなんて予想がつきません。
コロナ禍では仕事がなくなり、存続の危機になりました。
危機はまだ継続中なのですが、なんとか乗り越える努力をしています。
しかし、こういう事は乗り越える算段はつけられるものです。
足りない収入はアルバイトなんかで稼げばいいわけで、簡単に乗り越えることが出来ると思います。
でも、簡単には乗り越えられない、演奏家稼業存続を断念せざるを得ない問題ってのがあります。
それは人間すべてに平等にある衰えってやつです。
生徒さんが楽しそうに三味線を触っている姿を見ていて年齢を考えるわけです。
生徒さんが楽しそうに民謡を唄っている姿をみて年齢を考えるわけです。
緊張して手足が震えたとか、頭の中が真っ白になったとか、いろんな話をしている顔をみて年齢を考えるわけです。
『この人の年齢まで自分は楽しんでられるかな』
同業者の中には若くしてこの稼業から離れたひともいます。
才能があって、ひとがまねできない技術を持ちつつも、周りの人たちが悪くて辞めた人。
自分の身体がもたなくてケガをして辞めた人。
運悪く大病を患ってしまい辞めた人。
辞めた、となれるならまだいいかもしれません。
自分で判断しているわけですから。
話はズレますけど、辞めるにやめられなくて、目立つのがいつまでも好きで、やめときゃいいのに自分の立場を維持することに一生懸命な人もいますね。
最前線は譲った方がいいんじゃない?と思うひともちらほら見えてます。
恥をさらしている可能性ありますよー、なんて言いにくいので書いてしまいました(´▽`)
話を戻しましょう。
自分はどうですかね?
60歳になった時にどんな三味線弾いてるんでしょうね。
65歳になってどんな三味線弾いてるんでしょうね。
うちの息子殿は3歳から三味線を触ってます。
うちの先生と息子殿は年齢差が62歳あるんですけど、65歳で孫に三味線を教え始めたわけです。
その年齢に自分がなった時に教える気力がありますかね。
「演奏の機会はいつだろう」とわくわくしてる生徒さんみたいにいられますかね。
ここはとても大事な事です。
そしてすごく繊細な事でもあります。
生徒さんの中には年齢によって起きる事が原因で辞めたひとがいます。
その都度、先生は引退する生徒さんと楽しそうに話しているのを見ています。
よい引退の仕方なんてのがあるのであれば、こういう事なんだろうなと思います。
自分はどうなりますかね。
年齢に関係なく芸は輝くもの、と思っていますけど年齢のことは考えるわけです。
考えたくないんですけどね。
ではでは、またそのうちテーマのお話は復活させます。
一旦終了。
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