テーマ「教える時になにを考えているか?」⑥

ブログを御覧いただきありがとうございます。

津軽三味線奏者の佐藤壽治です。

 

 

テーマに沿った記事も6回目。

 

そろそろ釣果情報の事を考えてもいいだろうか、なーんてことはありません。

 

 

お稽古中、疲労について考えます。

 

自分自身も演奏していれば疲れます。

 

当たり前のように演奏しているようなのですが、疲れるもんは疲れます。

 

 

 

よくお偉い先生方や、経験豊富な先生方から聞くお話で、

「弟子と自分の稽古は別」なんて話を耳にします。

 

一日通して教室でお稽古したとしても、それは自分のお稽古とはならず、まったく意味のないものなんだそうで。

『たいした体力の持ち主ですね』と皮肉しか言えません。

時間を無駄にするな、と言いたいです・・・というか、言ってるかも。

 

実はお稽古中、わたしはわたしのお稽古をしてます。

生徒さんのお稽古時間なんですけど、わたしの稽古時間でもあります。

 

 

【わたしが現在の腕前になるためにわたしの先生はなにをしてくれただろうか?】

 

考えた事ありますか?

わたしの場合は「一緒に弾いてくれた」です。

良い音、良い間が身体に染み付くまで一緒に弾いてくれたことです。

 

子供のころから。

しかも精一杯。

 

そう思えるから教室では生徒さんと一緒に弾きます。

こういう音ですよ。

こういう間ですよ。

 

音は身体に伝わるので、それが一番伝わると思ってます。

 

だから変な音は出せません。

精一杯やらないとダメ。

わたしはそうしてもらってきました。

 

 

精一杯やるとどうなりますか?

疲れますよね。

疲れるのが当たり前です。

 

疲れたら休まないといけません。

わたしはお稽古中にお休み時間を設定します。

 

話をしたり、お茶やコーヒーを飲んだり。

体に負担がかかる楽器である事を考えての行動です。

 

釣果情報を見るための休憩ではありません。 

 

疲労の蓄積をばかにしてダメになってしまった人達の話をよく聞いています。

お金は貯まって欲しいですが貯まりません。

疲労の方が早く多くたまりますので注意しましょう。

 

では今日はこの辺で。