テーマ「教える時になにを考えているか?」⑤

ブログを御覧いただきありがとうございます。

津軽三味線奏者の佐藤壽治です。

 

 

テーマに沿ったお話も五回目になりました。

結構考えてるでしょ、と更新する度に自己満足。

 

でも、この自己満足ってあぶないんですよ。

 

人の為を思って行動しても、有難迷惑、余計なおせっかいというのはあるものです。

 

その加減をいつも大事にしていきたいですね。

 

さて、今日の考えてる事は相手の思考です。

なに考えてるかな?という予想ではなく、なにに興味を持つんだろか?の方です。

 

お稽古はまず頭で理解してなんぼだと思ってます。

子供は直感で覚えるところがありますが、子供だって頭で理解して覚えてます。

大人に出来ないくらい深い集中力をもって理解しようとするので、大人に出来ない早さで習得していきます。

でも、覚えるきっかけが無いとこの集中力も発揮、発動しないようです。

 

大人はある程度、無理矢理に集中力を発揮することが出来ます。

ここが子供との違い。

でもある程度であり、無理矢理だから限界が早く訪れます。

限界が訪れる早さは大人も子供も変わりません。

子供と一緒にするなよ、と怒るひともいますけど、変わりません。

 

だって、お稽古って遊びに来てるわけで、しかもただ遊びに来てるのではなく本気で遊びに来てます。

本気で遊んでるんですから、子供と同じになるんですよ。

童心に帰る、ってやつです。

だから習い事にのめり込んでいる人って若々しいんです。

 

 

話がズレました。

 

キーワードは「おもしろい」なんだと思ってます。

限界をどこまで遠くに置くことができるかは師匠の工夫にかかってると思います。

本人がどうこうできるもんじゃないんです。

 

よく使うのはその人が得意としている事や、長く取り組んでいる事に絡ませて理解してもらう手法です。

こういうことって無いですか?と例え話を使う事で理解できることもあるんです。

それも一気に。

あ!それね!

ひらめきに似た感覚で習得してしまうきっかけが「おもしろい」なんです。

その「おもしろい」を引き出すのが師匠の仕事かなと思います。

 

昔に比べると「おもしろい」はどうなってますか?

大事なことです。

 

ではまた。