ブログを御覧いただきありがとうございます。
津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
あっちもこっちも新型コロナウイルスの話題で、辟易してしまう昨今。
闇雲に怖がることはないんだ、という事はある程度情報を集められるので理解しているのですが、罹るのはごめんです。
辟易していても、やっぱり注目していなくてはなりません。
赤信号、みんなで渡れば怖くない。なんておふざけの標語がありますが「みんなで気を付ければ」と変えられるようになるといいのかもしれません。
さて、こんな最中にも演奏家として生きよう。
舞台人として生きよう。
エンターテイナーとして生きよう。
と、目指す人たちがいます。
こんな事態になっても!?と、理解不能な方もいると思いますが、ひとが夢を追いかけるというのはとても大事なことだと思います。
夢(目標)を見つけたという事自体が素晴らしい事じゃないでしょうか。
ただ、夢をあきらめなくてはならない時もあります。
道半ばで途絶えることになり、夢を完遂出来ない時もあります。
真剣にその道へ向かっていて、順風満帆でなくとも、あきらめなくてはならない事になっても、悔いが残らない動きをしていたならそれは素敵な事だと思います。
生徒さんに対してお話する事があるのですが、演奏でひっかかったり失敗する事があっても、真剣に演奏していれば理解はしてくれます。
問題は「真剣」であるのか?という姿勢であり、態度であり、おふざけと捉えられたなら「もっと真剣にやれ」と怒られます。だから人前で演奏する時は兎にも角にも真剣であって欲しい、と。
真剣であるというのは、時に滑稽に映る時があります。
異常に映る時もあります。
感動を呼んだり、笑いを呼んだり、賞賛される時もあります。
なんで「真剣である事」は、人の心にこんなにも、いろんな影響を与えるのでしょう。
経営の神様のお話とか、学者さんの偉業のお話とか、偉人伝など。
活動場所や行動は違うものですが、共通している部分に見える真剣という存在。
不思議です。
不思議ですが、真剣である事が大事、ということを指しているのは間違いありません。破天荒だのバカだの言われても、真剣である事を隠さずにいたいとわたしは思います。
苦境であるからこそ真剣に取り組んで欲しい。
今はわたしも含め、ステージイベントに関する仕事は皆無の状態です。
それでも永遠にというわけではないのも事実であり、きっと感染症を乗り越えた将来が待ってます。今はバイトしてでも、借金してでも、食いつないで心を鍛えて欲しいですし、心を守って欲しいです。
まだあきらめる時ではない、という暗示でもかまいません。
苦しい最中でもお稽古に励み、真剣に取り組んでいれば無駄にはなりません。
真剣である事。
とても大事なこと。
今日も一日がんばりましょう。
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