ブログを御覧いただきありがとうございます。
津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
緊急事態宣言も解除されて、お稽古に来る算段をつけはじめている生徒さんの話が聴こえてきています。
ただ心配なのも心配で、第2波がどこまで被害を出すのか予想がつかない事が気がかり。
来ない、なんてことは絶対にないと私は思っています。
相手も小さいながら時を重ねて永く繁栄をつないできたきたわけです。
ちょっとの事でいなくなるなんて事はありえません。
願いはなにも無く、ですけれど本音は慎重に。
今まで通り気を付けて生活していこうと思います。
お稽古と雑用くらいの毎日。
なにかとパソコンを触ったり、スマートフォンを触ったりして過ごしていたのですが、ふしぎに思う事と伝えていなかった事を思い出しました。
今まで所属団体の中に「公益財団法人日本民謡協会」という全国組織があったのですが退会しました。
情報管理および金銭等に関する不信感が原因です。
話を聞けば現在内部役員の若返り案の推進などで、さまざまな事が動きすぎて大変なんだとの事ですが、それはそれです。
そんな事があったとしてもきちんとすべきところを守るのが役目のうちの一つなのでそれが出来ないのはただの怠慢、という判断をしました。
ちなみに、今までも何度かおかしい事がありました。
その都度は大したことではない、と流していましたが度重なる上に、問い合わせた時の話のやり取りが呆れてしまうような内容だったのもあります。
けっこう前から考えてはいたので、急に決断したのではない事だけはここで断っておきます。
詳しく時系列で話せますが、長くなるのでここでこれ以上書くのはやめておきます。
これが伝えたかった事です。
ふしぎに思う事は、なんで「今重造」はどこの団体からも名人位に選ばれないのか?という事。
今まで「今重造」と名乗ったひとは三人います。
初代の先生、宇野清美さん、うちの先生です。
うちの先生は上京すると、日本民謡協会や日本郷土民謡協会などで上層部として動いていた人からよく話を聞かれたそうです。
「福井の先生だったら、今の民謡界でなにをしたらいいと思うかな?」
大会等々の事業展開もそろそろ定番安定化してきたので何か模索していたりしたのでしょう。
その都度、いろんな案を挙げると共に口にしてきた事があります。
「あんたがたが決めてる名人位とかの勲章、なんで初代の先生が選ばれないんだ?」
「それもそうだ、初代の先生に世話になったプロの芸人さんはいっぱいいるのに、なんでそんな話が出ないんだろうね。わかった、話してみる」そう言って別れるらしいのですが、実現した事はありません。
日本民謡協会では浅利みきさんが名人位に名前を連ねています。
浅利みきさんは「おれは初代今重造の弟子なんだよ」と話すくらい初代の先生から離れたことが無い人であり、同門だと話した事をうちの先生も驚いていました。
ですが、その師匠とされる初代今重造は名人位に名前は連ねていません。
当時の理由は協会に所属していないからとの事。
もっともらしい話ですが、所属していなければその功績は無にしてしまうという話でもあります。
団体が恐ろしいのは勝手にその価値を作り、それを世間の常識としてしまう事です。
何を認め、何を称え、何を後世に伝えるのかを考えるのが本来の働きだと思うのですが、おそらく現在でもそこは変わらないでしょう。
うちの先生が案を述べた時には津軽民謡の黄金期を作ってきた人物の名前も挙がっていました。
所属していた人は確かに名前を連ねていますが、弟子が連ねて師匠は放っておかれている人も存在します。
団体ってそんなもんでしょうかね?
と、もうちょっと時代の流れを大事にしてほしいと思います。
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