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津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
昨日は疲れのお話でしたが、今日は声のお話。
声も見えないものです。一部は計れるものなので、ここはどっちとも言えません。ですが、不思議な表現が多いのも事実です。
鍛えられた唄声、透き通った唄声に、深みのある唄声、などなど。
よーく読んでみると、何を指してそんな表現になるのか、不思議なところです。
その不思議な所なのですが、わたし個人的な感覚では、声には密度があると思っています。
大きさなどとは別の感覚です。
オペラの歌手や昔の歌謡曲の歌手にも、密度を感じる声の持ち主はいます。
密度をなんと表現すればいいのか分かりませんが、声の質が濃いというか、重たいというか、身が詰まっているというか。
そんな感じです。
ですから、大会等で唄声を聞くと、この部分が気になってしまいます。
いい声、すばらしい声と言われてはいるけれど、なにか物足りない・・・そういった印象を持つことがけっこうあります。
なんなのでしょう。
でも、世界に目を向けると、そういったことが認められている人もいるように感じます。
残念ながら、本人を目の前にして生で感じているわけではないので、確信は持てませんが聞いていてそう感じます。
そう、聞いていてそう感じているだけ・・・のお話。
誰か説明できる人いないんだろか。
見えないものには不思議がいっぱいです。
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