ブログを御覧いただきありがとうございます。
津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
人には少なからず『こだわり』というものを持ってるなにかがあると思います。
職人の世界や趣味の世界はその塊であると思います。
わたしの場合ですと津軽三味線の音に対してのこだわり、道具に対してのこだわり、趣味でもこだわりがあります。
ただ、これらのこだわりを人に教えたり伝えたりする場合に、押し付けになってしまったりするのが怖いところです。
師匠業、講師業をしているのでいつまでも気を付けたいところです。
で、今日はそのこだわりのうちの一つで、想いは強く否定していながらも、口にはしていないことを書きます。
民謡の世界は間違ったものが蔓延して、いつの間にか『常識化』してるものがたくさんあります。
例えば『じょんがら節』。
「が」ってなんだよ、文字まで訛ってんのか?・・・と思ってしまうほど、標準語で綺麗に話す人や、じょんから節と深く関わっている人まで「が」と妙な発音をしてます。
心の中で思ってる事を口に出すほどの事ではないので黙ってますが、FacebookやCDなどの販売物に楽曲のタイトルを見て心の中で笑ってます。
世の中には報道機関を通じて伝わった誤った表現や表記もあるわけで、そこを調べることもなく、そこを疑うこともなく、真面目で素直な人達なんだなぁ・・・と、白塗りの黒い佐藤は静観しています。
地元の人は訛って話すけど、文章を書けば標準語なんです。
なんでこうなったのか?と自分なりに考えてみました。
こんな感じ、
ある人が取材や調査研究するために現地へ赴いたところ、地元の知識人の言葉が訛っていてそう聞こえてしまった。
↓
聞こえているものを表記するために文章化したらそうなってしまった。
↓
聞いて終わりにせず、大事な名称などは書いてもらい確認すれば・・・と思うものの、それはいちいち面倒くさいし、教えてくれる相手に煩わしい思いをさせても失礼だしやめておこう。
ここで日本人の美徳『遠慮』が発動。
↓
そしてその後出版されたり、発売されたりする物が完成し、教えてくれた人にも見せにいく。
「おいおい、ここ違うぞ。あ、ここも。」
教えた知識人はそう思うが、出来上がっているものを訂正するなんて作業は想像しただけでも大変な時間とお金がかかる・・・、うん黙っておこう。
ここでも日本人の美徳『遠慮』が発動。
or
もしくは、完成品を見せることもなく世間に出回っていたのかも。
なかなか壮大な想像力。
わたしの勝手な想像ですが、有力な説な気がします。
ちなみに「じょん(が)ら」になった経緯の一説には報道音楽関係者からの演出説もあります。
それなら発案者が誰なのか分かる話になるのですが、誰かは不明です。ここは追求してもおもしろいのかもしれませんが、面倒くさいのでやりません。
売れてしまったわけですし、それが当たり前に、世間の常識になってしまったからいいじゃないか。
今さら訂正なんて出来るわけもないし、目をつぶればいいじゃないか。
今流行ってるんだから、今はこうやらないとお客さんがうけないからこれでいいんだよ。
そんな感じで変わってしまったものがたくさんあります。
調弦方法が変わってしまった曲、歌詞の順序が変わってしまった曲、歌詞の表現を変えられてしまった曲。
探さなくてもいいんですけど、探すといっぱいあります。
さて、このままで良いのかどうか。
それは関わるひとの考え方次第。
わたしはわたしのこだわりでこのまま行きます。
こだわり。
ある場面では敵を作りますが、ある場面では仲間を作ります。使い方を間違わずにいたいものです。
間違ってるものは間違ってると、いつでも受け入れて納得出来るような人になりたいですね。
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