ブログを御覧いただきありがとうございます。
津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
演目を決める時にやる事にリールを回すという事を書いたことがあります。
それ以外にもすることがあって、普段あまり見ない映画などを見るのも参考になると思っています。
やったことが無いので多分の話になってしまいますが、小説なども参考になるんだと思います。
ひとの想像する事を参考にする、といえばいいのでしょうか。
良い影響が出る、悪い影響が出るどちらもあるのは分かっています。今持っている芸だってひとから貰った芸であり、少なからず誰かの影響は受けています。
芸は真似るところから始めるのが当たり前で、真似た後に自分のものにするまでが大事で苦労するものです。演目を決める時の物語みたいなものも一緒で、自分なりに真似てから考えなくてはなりません。
わたくしは青森県黒石市生まれ、と言えるわけですが記憶はほとんどありません。4歳までの記憶といえば、住んでいた家のタイルの柄と、扉から差し込む光。あとは道端に轢かれてぺったんこになったカエルの干物。囲炉裏端に置かれた煙草をむしった事。
洪水になった川の濁った水際へ、姉に手を引かれて行った事くらいしか覚えていません。
あとの記憶は小学校に入ってからの黒石よされの組踊りに参加して、旗持ちとサービスの時間に唄っていた事。川で泳いで魚をとっている大人を眺めながら、ぷかぷか川に浮かんでいた事。大きな鍋でゆであがったとうもろこしが美味しかった事。
夏の思い出しかありません。
冬の思い出はおばあちゃんのお葬式で、晴れているのに耳がもげるくらい寒かった記憶があるくらいです。
そう、「津軽での暮らし」というものの大半はわたしは知らないわけです。ですから、それを実際に伝えようと思っても真実味が薄くなってしまいます。それをなんとかするためにはどうしたらいいのか?というと体験するしかありません。もしくは本当に体験している人と話をしたりすることです。
幸い、わが家の暮らしは福井でありながら津軽なところがあります。
言葉であったり、話であったり、食事であったり、行事であったり。
いろんなものが福井とは違う事があります。
それらが現在のわたしの舞台での話の糧になっているわけです。
とはいえ、「自分なりに」というのは大事です。
従妹や親戚は今でも青森にいますが、それも両親がなくなれば交流もなくなるかもしれません。
離れた地に出たものの運命のようなもので、それは覚悟しておかなくてはなりません。その覚悟をしているからこそ、自分の中で物語を作り上げて真に身に着くまで考えるわけです。
ついでに言うと、それが息子殿娘殿たちへも繋がっていくようにも考えるわけです。
ここが今後の課題です。
忘れ去られる存在ではなく、いつまでも記憶に残る存在になれるように。
未来へとつながり、つたわるものを作りたいです。
コメントをお書きください