魂の叫び2

ブログを御覧いただきありがとうございます。

津軽三味線奏者の佐藤壽治です。

 

 

昨日は過去に質問されて答えてあげることが出来なかった後悔の念を綴りました。

 

今日はその2。

 

 

でも対象者は同一人物です。

昨日の記事※←詳しくはこちら

 

 

 

 

昨日は先生からの受け売り文句。

優等生の答えみたいなもの、と捉えてもらっていいと思います。事実と離れているわけでは無いですし、表に出せない歴史が口説きや唄として地域に残るのは全国各地に存在する話なのです。

 

 

しかし、津軽民謡の場合、現場で「やむを得ず」培われてきたものかもしれません。

 

 

 

昔々のお話。

でも、昨日よりは近い昔のお話。

全国ツアーやコンサートという言葉がまだ日本に無かった頃のお話。

 

舞台に上がることを目指す人たちのあこがれは「興行」に声がかかる事。

 

期間はどこまでなのか出演料はどのくらいになるのか、すべて人気次第であるので不安定なものながらも、次の場所次の場所と公演地を回る楽しさや、遣り甲斐を求めて、全ての芸人が興行に参加できることを夢見ていました。

 

 

この興行。

 

今でいうところの音響設備が整った場所ばかりで行われることは少なく、ある場所では庄屋などの大きいお屋敷で、ある場所では集会所、ある場所では映画館、ある場所では・・・と、人が多く集まれる場所を探して探して行われていました。そんな場所ですから音響設備なんかあるわけがありません。

 

さらに、音響設備があったとしても性能は悲しくなるほど低く。

熱を持った真空管が発する雑音に、お客さんが怒鳴ることなど茶飯事でした。

 

最近のコンサートと言えば静かに楽曲を聴くのがマナー、と英語交じりに常識なるものが出来上がっています。咳払いは休憩中に、などなど演者にとって非常に協力的な観客ばかりが集まる訳です。

 

※アイドルグループやメタル系バンドのコンサートなど基本的にお客さんが騒ぐのが当然のコンサートは別

 

 

しかし、当時のお客さんは非常に自分を大切にする人が多く。お互いに、好きな時に好きなように行動する事が割と当たり前な感じでした。

 

ですから、

舞台に上がる芸人さんの内心は、

 

 

『だまりなさい』

 

もしくは、

 

『負けるか』

 

 

舞台に上がる芸人の心意気は、ある意味暴力的です。

そして観客も負けていません。

当時主流の真空管音響に雑音が入り出すと、

 

 

『うるさい!マイクやめろー!』

 

と・・・。

 

隣では気を使うことなく、バンバン大きな音で演奏する三味線。

力を入れてはっきり叩く太鼓。

目の前は動物園。

 

自然と声も大きくなるわけです。

 

口調は穏やかなれど、音量は大きい。

低い声は通らないので、高い声であればあるほど良い。

これが唄い手の必須能力なだったわけです。

 

 

穏やかに出来ないなら話さない、動かない。

代わりに司会が仕切り、人気者を助けます。

 

一座の全員が深く関わり盛り上げていくのが興行の姿でした。

 

それに応えるためにも唄い手はなるべく遠くまで届く声を。

なるべく大きな声を。

でも歌詞がはっきり聞き取れるように、喉を鍛えていったわけです。

 

実は観客を満足させるために生まれた歌唱法。

それが津軽民謡の怒鳴るような、叫ぶような唄い方になったわけです。

 

現代は?というと、音響設備は飛躍的に良くなりました。野外ステージでのコンサートが可能なほど、出力溢れる機材が生まれましたし、雑音を抑える機能も生まれました。お客さんからマイク使用を禁止されるような発言も無くなりました。

 

 

そう。

だんだんと、大きな声は必要無くなってきたわけです。

 

しかし、津軽民謡は、未だに伝統とばかりに、姿勢を崩していません。

崩せば何かが壊れる訳です。

 

それは、遠い過去にうけた仕打ちなどへの恨みや、事実を未来へ伝えようという想いであり、人々を奮い立たせた声の響きだったり。すべてが重要な要素であるので、それらが壊れてしまうと魂の抜けた、ただの雑音にしかならないのです。

 

 

聞き取りにくくてごめんなさい。

でも、そんな事情があるんです・・・

 

と、昨日分も合わせて話だすと、観光バスが津軽伝承工芸館へ滞在する時間をすべて使い果たし、もしかしたら足りなくて捜索される可能性もあったので答えませんでした。

 

これで完結。

わたしの持てる限りすべての理由が揃いました。

 

 

今日も自己満足。

よい日になりそうです。