ブログを御覧いただきありがとうございます。
津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
今さらな話を思い出しました。
黒石大会の時(たぶん2回目)の話なので、それこそ5年以上前になる話。
私の中で後悔していることのひとつとも言える話。
なぜあんなに怒鳴るように、叫ぶように歌うのか?
歌詞も聞き取りにくいし、もっと綺麗に歌ったらどうなんや?
言葉の主は観光客。
おそらくだが、訛り具合から察すると京都のひとではないかと思います。
その時の黒石大会の開場は津軽伝承工芸館と呼ばれる、観光客が必ず立ち寄る場所。十和田湖へ抜けられる道沿いにあるので、津軽伝承工芸館は観光客にとって都合の良い施設でもあります。黒石こけしやそのほか匠工芸に地元の食材が味わえるレストラン。休憩しながらお土産を物色し、時間が来ると津軽三味線の演奏などが楽しめます。
ちょうど大会の日もたくさんの観光客が、入れ代わり立ち代わり施設内で楽しんでいました。
その中のおひとりの発言が先述の質問です。
これに対して答えることが出来ませんでした。
答えを知らないわけではないのですが、解説し始めれば時間がかかるし、自分の伴奏順(専属伴奏でした)もあるし、後回しにしてしまいました。
おそらく納得せぬまま、津軽民謡を誤解して帰ってしまったであろう観光客。たまーにその時の事を思い出します。
その人がこのブログを読むわけも無いですし、所説あるものでこれが正しいとも言えません。
「自分なり」の答えをここで簡潔に書きます。
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昔々のお話。
現代の戦争という言葉が「いくさ」と呼ばれていた頃のお話。
今の戦争とは様相の違う昔のいくさ。
大人数で一気に攻めるでもなく、火器で一気に攻めるでもなかった頃。
人の手で地道に争いを繰り広げていて起きた「憎悪」によって起きた事件が発端です。
殺されたくはない・・・必死の抵抗を繰り広げ、どちらが勝者なのか分からないくらい両者に被害が出た結果に、やっとこさ勝った方が恨みも強く部下に命令を出します。
『一族郎党皆殺しにし、先祖代々の位牌は焼き捨て、墓も掘り返し砕き捨てよ』
たぶんこんな感じ。もしかしたらもっと怒りに満ち満ちた感じかもしれません。自軍の身内を殺された人も大勢いたこともあり、命令は無常にも遂行されていきます。ここで敗戦した側の殿様の先祖代々の供養を任されたお寺の和尚さんが画策します。
墓は砕かれても、位牌を手にかけさせぬ・・・集めた位牌を風呂敷なりにまとめて身体にくくりつけ逃げていきます。しかし、追っ手に敵わず山へと入った後に崖へと追い詰められます。絶体絶命の状況の和尚さん。
自分の信念を曲げる事無く、とうとう崖へ身を投げ、位牌を守り抜き亡くなりました。
ここで終われば結末を今に伝えることは出来なかったのですが、崖の下を流れていた川の流れのおかげで、村人が位牌を守り抜いたことが伝わります。
亡骸にくくりつけられた位牌と共に和尚さんも供養され、その行動の結果を子子孫孫に伝えるための口説きが生まれました。その口説きが津軽民謡の代表曲「津軽じょんから節」の発祥であり、津軽民謡全体になにかしら影響を与えていると思います。
恨みや悲しみといった魂の叫び。
だから怒鳴るように、叫ぶように歌うのかもしれません・・・
なんとなく気が済みました。
読んでくれたら嬉しいな・・・と思ってほっとしたのですが、ここでまたひとつ不安要素が見つかりました。
『その時の観光客が会話自体憶えていない』
そんな感じだったら・・・
ま、自己満足でいいか(´ー`)
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