お先

ブログを御覧いただきありがとうございます。

津軽三味線奏者の佐藤壽治です。

 

お稽古をしてる中、先生の話を聞いて虚しくなることがあります。

 

唄付けのお稽古中に必ず出てくる話で、

 

『唄もその時のひらめきで節回しが出来上がるのだから、伴奏はそれを引き出すための手助けをしなくてはならない』

 

というのがあるのですが、最近は唄よりも目立とうとする伴奏者が多いです。

 

さらに唄にいつまでもピッタリくっついてくる伴奏法も多いです。

 

どちらも唄い手からすれば迷惑な話で、でしゃばってやり過ぎて、自分が唄う舞台の雰囲気をぶち壊されたり、自由にさせて欲しいのにしつこくいつまでも絡んで来られたり、相手の事を考えられない事象が舞台で見て取れる時があります。

 

これらは打合せや練習などを重ねれば解消される問題ですし、個人の心構えと余裕があればなんとか出来る事ですし、場数を踏むことで教えられなくてもだんだん分かってくる事です。

 

唄い手と限定せずに考えられれば、他の楽器と交わったバンドメンバーとのやり取りと同じですし、『お互いを引き立て合う』という舞台での活動に絶対必要な部分を指摘している言葉だと思います。

 

 

ここまではいいのです。

しかし、ここから先の話は残念な現実があるので、能力として無意味なものになるかもしれない話になります。

 

 

『どんな節回しで唄を作ってくるか分からないものに、伴奏者は瞬時に対応しなくてはならない』

 

他の楽器とのソロ回しなどのやり取りを楽しんでいる人なら役に立ちます。

 

しかし、唄付けに関しては、自由に唄う人がいない(限りなくゼロ)のにそれを活かせる時は来るのだろうか?・・・と、考えてしまいます。

 

うちの息子殿も先生の唄に鍛えられて、地元のひとの難しい唄にも唄付けは出来ます。

しかし、そんな難しい唄をうたってくれる人もすでに高齢。

引き継いで唄う人はいませんし、出てきません。

 

出てくるのは習った唄、覚えた唄をその通りうたう人であり、毎度毎度違うひらめきを持って唄う人は、今後減ることはあっても増えることは無いと思います。

 

 

 

自由に唄うひとがいなくなり、自由に弾く必要がなくなる。

 

 

 

こうなった時に今身につけている能力はおそらく津軽民謡にではなく、他の音楽へと向かうことになるんじゃないかなと思います。

 

すでに津軽三味線の奏者は世界にも認められて、日本の郷土芸能という枠を越えて活躍しています。

活躍している姿は素晴らしいと思いますし、まだまだ活躍しないとダメだと思います。

 

でも、本当は伴奏者と同じく唄い手もそうなってくれないと、伝承というものの均衡が取れないではないか・・・と。

 

歌手(唄い手)とは特別な人であり、極一部の才能(声)を与えられた人間だけがなれるものです。

 

ここは分かります。

唄えば誰でも称賛を得られるものではありません。

 

津軽三味線だってそういった要素はありますが、道具を変えたりして乗り越えることが出来る事も多く存在します。

しかし、生まれ持ったもの(声)は子供が親を選べないのと同じで、個人の意思で動かせるものではありません。

 

ここに唄い手減少の要因があるのですが、今はもう壊滅的です。

そんな現状を考えると・・・

 

 

暗いお話でした。

今日も1日、がんばりましょう!

 

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