もの申すことの難しさ

ブログを御覧いただきありがとうございます。

津軽三味線奏者の佐藤壽治です。

 

今の世の中、正直にものを申すのは難しくなりました。

言葉と内容選ばないと、性的嫌がらせ、権力を利用した嫌がらせ、と問い詰められます。

 

指摘をしなくてはならない立場でもあるので、ものを申すのが難しくなると困ります。

 

ですが、そんなお困り事情は言葉をきちんと考えて発していれば問題はそう起きるわけではありません。

 

相手の事を考えない、または無理難題を押し付けるような物言いをしなければ問題は起きません。

 

相手の理解を導き出すにはどうしたらいいか?

を、常に考えていろんな種類の例えを話したり、行動で見せたりしていれば伝わるもの。だと私は思います。

 

さて、そんなもの申す。

 

最近は『良い意味』のもの申す人が少なくなりました。

 

発する度に先の事柄として扱われてしまうので嫌になった怖くなった、年を重ねたので性格が丸くなった、何度言っても無駄なので諦めた、胸の奥に大事にしまっている、などなど。

 

本人にきちんと話した方がいいのに、と思うことがたくさんあるのですが、残念ながら取り巻く人々は気遣い?としてもの申すのをやめているようです。

 

民謡を脚色し過ぎて妙な唄にしてしまってる今は大物演歌歌手には民謡界から指摘していいと思うのですが、それを行う人はおらず・・・。

 

本場の人間を差し置いて、さもこれが本物のように扱う放送局のやり方に民謡界から指摘してもいいと思うのですが、それを行う人はおらず・・・。

 

そして、それらをするとヤヤコシイ人として扱われたり・・・。

正しくものを申しても、世の中は正しいとは認めなくなっているように思います。

 

どっちが正しいのか気付いてる人は多いのですが、多を相手にして損をするのは誰しも怖いので、声を上げられず行動を起こせない世の中なのかと。

 

対してインターネットの世界では書き込み等々でけっこう認められてたり・・・

今の世の中を渡り抜くにはかなりの精神力が必要なようです。

 

 

 

それでも正しい事はなにか?といつも追求していたいですね(´ー`)

今日も一日がんばりましょう。