言い分。

ブログを御覧いただきありがとうございます。

津軽三味線奏者の佐藤壽治です。

 

世の中、たくさんのひとの思いの中で、いろんな正当な理由を持たせて物事が回っています。

 

たくさんのひとが大勢集まって、同じ正当な理由を持たせて生まれるものが「資格」や「免許」。

 

正当な理由を共通させることによって生まれたものなのですが、ここの解釈を変えるひとも存在するので逸脱するひとが現れます。

 

免許は無くても車を運転する事は出来ます。

資格は無くても修理依頼を受ける事は出来ます。

 

隠して、隠れて、やってしまった後も黙っていれば、物事が収まってしまう事もたくさんあります。

 

これは民謡の世界、音楽の世界に限った話ではなく、趣味であっても仕事であっても事例はたくさん存在します。

 

談合はいけない、政治家からの忖度で物事を動かしてはならない、とニュースで騒いでいるのは解釈の変化で賛成派と反対派に分かれてしまっただけの事。

 

どちら側のひとも自分たちで作った正当な理由を掲げて相手を批判しているので、折り合いがつくわけがありません。

 

 

『それぞれが勝手に解釈してるから』

 

 

大事な本質を見逃していると、どちらもただの勘違いです。

多くはお金が絡んでいるので、欲がふくらんで問題に発展します。

 

 

「本職に頼むとお金が高いから、おれが変わりに安くでやってやるよ」と無資格者、無免許者が動いていたら有資格者、有免許者はどう思うでしょうか?

 

 

圧倒的多数が眠たくなってしまう講習会に、一夜漬けの資格免許試験を受け、手間のかかる毎年の資格更新、免許更新に経費をかけ、メーカーを保護するための価格維持、メーカーは品質維持に力を注いでいます。

 

確かに消費者は安いものに惹かれます。

わたしもそんな中のひとりです。

 

しかし、簡潔に書かれている規則を、勝手に裏を突くような内容に定義しなおすのはどうかと思います。

 

 

既得権益を守る、というと聞こえは悪いのですが、既得権益で守られているお陰で、学校に通える子供や飢えや寒さに苦しむことのない社会になっているのも事実です。

 

伝統など決まりがあるようで無いものも含めて、守るところは守らないといけないと思います。 

 

ちなみにこの記事は政治批判を指す内容ではありません。

 

年末、散財の増えるこの時期。

気持ちも新たに手に入れたいものがあるのですが、それらは特許制度などを用いて、年々物価が上昇しています。それもこれもこんな世の中の条理に振り回されているのだろう・・・と、昨日思っただけです。

 

釣り道具が・・・(´д`)