溢れる言葉たち。

いつもブログを御覧いただきありがとうございます。

津軽三味線奏者の佐藤壽治です。

 

言葉の足りない世界。

 

お稽古中『言葉だけですべてが伝わればいいのに』と、思うことがよくあります。

 

わたくしの先生は唄い手でありながら、数多く唄えないという悩みがあります。

 

若い頃の無茶が出てきているのか、はたまた怪我などの類いで元に戻らなくなったのか、複数回唄っていると声が掠れるどころか割れてきます。

 

唄い手にとっては致命的な悩みではありますが、過去における唄い手がひとつの舞台で唄う曲数は少なく、大御所に近づけば近づくほど曲数は少ないのが通例でした。

 

幸い芸道に入るのも、さらに唄としての腕も周りから一目置かれる存在だったので今までやってこれたのだろう、とわたしは考察しています。

 

そして、お稽古中にも同じ事は起きます。

 

すぐに起きる訳ではありませんが、相手が分からなければ聴かせるしか無いので、同じ場所を何度か唄って聴かせることになります。

 

そのうちに声が掠れだし、声が割れ始めます。

 

なかなか相手が取れる芸ではないため、何度も唄い聴かせることは仕方ありませんが、そのうち唄うことが出来なくなるのでは?と不安に思うことがよくあります。

 

 

お手本となる音源を聴き、言葉で説明さえすれば伝わるようになれば・・・

 

 

民謡と同じく、三味線でも言えます。

 

『叩く』という行為は同じなのですが、出てくる音は違うので我々の講師業、演奏家として成り立っているのが現実ではありますが、これから未来の演奏者や音楽の行く末を考えると、私たちが立っている場所などはとっとと通り過ぎてくれないといけません。

 

師匠が10年かかって覚えた事を10分で身に付けてもらうのがお稽古です。

 

勿体ない、とか隠すなどは未来の演奏者を殺しているのと同じ。

発展を閉ざすような師匠は必要ありません。

 

しかし、受け取る側にすんなりと技術が伝承されるかというと、それはありません。

難しいです。

 

 

難しいといえば文字数を限って情報発信できるものや、短文で気持ちを表したり、指示を明解にさせたり、広義を持つ言葉は西洋化させてしまったり、今の日本語は便利なものが生まれてきたお陰で益々難しくなっています。

 

わたしは言葉の間に横文字が出てくると、横文字の意味が気になって、相手の話す全体の意味が全く分からなくなります。

 

なぜそこを説明せずに横文字で話すのか?面倒くさいのか?と勘ぐってしまいます。

 

とはいえ横文字に限らず日本語にも難しい言葉は存在し、今ではそれらの言葉を使わなくなってきてます。

たまに出てきたりすると面白おかしく取り上げられたりしますね。

 

代表的なもので「そんたく」という言葉が流行っているもしくは流行った感がありますが、知識人と呼ばれる人たちの間ではよく使われていた単語なのでしょう。

 

漢字変換をしても変換されない言葉でありながら、ある一部の人たちの中ではよく使われる言葉。

 

そういえば芸人の中にも符丁と呼ばれる言葉がありますが、部外者に舞台構成や個人情報が漏れないようにと作られたのが始まりと言われています。

 

 

言葉とは難しいものです。

しかし、便利なものです。

ただ使い方を間違えるととんでもないことに・・・

 

 

拡声器で話す言葉が溢れている昨今ですが、誤解を生むような表現にならないように気をつけて欲しいです(´ー`)

 

 

 

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