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津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
暑くなると猫の居場所は変わります。
少しでも涼しいところ・・・かと思えば、なぜだか蒸し暑い場所に。
寒い時期に石油ストーブの前やホットカーペットの上、こたつがある家であればこたつの中などの固定の場所から、毎日変動するようになるようです。
涼しい場所を探している途中で諦めたのか?
場所を探す意志が睡魔に負けたのか?
ただ単に夏休み中の子どもたちから身を隠しているだけなのか?
猫の研究はされていますが、そのほとんどは解明されないままのモノが多いそうです。
喉を鳴らすのも、いつも寝てるのも、あくまで予想であり、統計であり、喉を鳴らす必要があるのか?いつも寝てる必要があるのか?という本質は分かっていないとのこと。
そう考えると津軽三味線も楽器の特徴や演奏法などを含め、なぜ今の形になったのか?という事も本質は分かっていません。
あくまで作家の想像や演奏家の解釈、聴いた人の感想で伝えられているものであり、「本当のところ」というものは不明です。
本心を話す、という事が出来れば伝わっている事もあるでしょうけれど、それを許さない世の中の事情があったり。世間の常識外から生まれてくる旋律が拍手喝采を得た事を考えると、不明なのは仕方がないのかもしれません。
「こうじゃないのかな?」
そこを何度も何度も検証して、確信に変わるほどやり尽くすと分かるのかもしれませんね(´ー`)
現代はわたしの様に講師業、または音楽教室として仕事が成り立つようになり、そこから独立して独自の世界を作る事に挑戦している人も増えました。
そうしていると必ずひっかかるのは「師匠から習ったこと」というものへの理解、解釈に苦しむようになります。
しかし、苦しんだ先には違う世界があり、新しい感動を作り出せる自分が待っているかもしれません。
『師匠にこう習った』という言葉は、師匠が作ってきた理解の度合いを表す階段の高さや段数を「どの程度登った」という事を指している言葉だとわたしは考えています。
「皆伝」という言葉はその最上段に登れたという事であり、そこから上の世界は師匠である人も見れない世界・・・という境目まで来たという意味です。
上の世界を見るのは次の世代の人たちであり、現在師匠である人は少しでも階段を高く積み上げて、次の世界を見れるであろう人たちを高みに登らせなくてはなりません。
「良い師匠でありたい」という目標はなかなか難しいものです。
と、猫を見ているだけでここまで話が飛躍できる自分に驚きました。
さて、今日もがんばりましょう!
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