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津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
掴みたいときに掴めないもの。
チャンスの神様は毛が三本、という話を大阪に住んでいたときに初めて聞きました。
掴み所の少ない神様らしく、訪れた時の狙いどころは前髪とも見える三本の毛。
ここを鷲掴みして、三本とも握らないと逃げられてしまうのだとか。
チャンスも掴みにくいものです。
同じく掴みにくいのは『ヒント』です。
手がかりやコツの類いになる言葉でしょうか。とにかく、これが掴めると物事はなんでも快調に進みます。
言葉の魔法みたいなものですが、わたしはお稽古中に『弾けない訳じゃないですよ』という言葉を使います。
お稽古あるあるで、たまたまその時には弾けないのですが、自宅では弾けてるというものがあります。
それを指して、『自宅では弾けてないですか?』と問うと「家では弾けてたのに」と帰ってきます。
『ということは弾けない訳じゃないですよ』と話し、お稽古が足りない事を遠回しに相手に伝えます。
聞く人が聞くと、気休めや慰めの言葉として聞こえるみたいですが、実際は『もっとお稽古したら大丈夫』という意味が込められています。
ヒントを掴むためには数が必要。
社会の摂理とでも言えばいいのでしょうか。
教えを乞うことは出来ても、実践するのは難しく、やはり努力を要する。
作曲や採譜などの時間を要する部分は、便利な教材が手に入っているのでその部分は短縮は出来ています。しかし覚えるための時間や、慣れるための時間は本人が短縮してくれるより他に方法はありません。
しかし、それを傍観していては師匠業は勤まりません。
相手に早く慣れるための時間があれば、そこにヒントとして自分が演奏しているときの感覚や感触を伝えていきます。それらを元に掴めれば、わたしが1年かかったものでさえ、習いに来た人は1ヶ月で納めてしまいます。
しかしすぐに掴む人と、掴まない人がいることも事実。
毎度、ここに悩むことが多いのも師匠業の宿命です(´ー`)
ふと言葉の魔法で考え付きました。
あれは『北海道山唄』を唄ってるんだよ、と思えば腹も立つまい・・・。
そうそう、習う人が捉え違いしてるんだアレは。
まあ、北海道には「蝦夷富士の唄」っていう唄がありますけど・・・。
今日も言葉の魔法を使います。
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