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津軽三味線奏者の佐藤壽治です。
明後日、大阪にて演奏します。
大平佳美さんが皐月会を率いて6回目を数える発表会。
重造会でも発表会を続けていけるように動いていますが、なかなか毎年行うというのは難しいものです。
会場の大小を問わず、準備しなくてはならないものは変わりませんし、意気込みも同じです。『毎年』という事に億劫になり、やめようか・・・となる事の方が多いのが真実です。
実際に発表会を運営するにあたって、2年毎に3年毎にと周期を複数年と決めて活動されている民謡教室も少なくありません。
毎年の運営は大変ですし仕方が無いことなのですが、周期を設けても「続けていける」ところはさらに少なくなります。
それほど、回を重ねるということは難しいことなのです。
発表会とは、続けていくことに意味があり、辛くとも続けなくてはならないものです。
お稽古とは自らに対して、自らで積んでいくものではありますが、やりたくない時はやらなくていいですし、辞めたくなればすぐにやめることが出来ます。
お稽古に対する姿勢というものは昨今の社会風潮に合っているといえるのですが、残念ながら一人で積めるお稽古はほんの些少な分しか積むことは出来ません。
たくさんの人にお世話になりながら、それを感謝しながら上がる発表会(舞台)で積めるものの大きさを分かってしまうと、それはすぐに理解できるはずです。
経験した人にしか伝わらないことのように書いてしまいましたが、それほど芸事にとって発表会というものは大事なものなのです。
しかし、いつの時にそうなったのか、だれがそうしたのかは定かではありませんが、民謡界の家元となる人は「お金集め」のために発表会を運営している、と言われた時期がありました。
実際に会場を使い、演出を考えるとお金はかかりますし、ゲストを呼べばお金がかかります。
しかし演出し、ゲストを呼ぶことで人の芸を勉強できるという積まれるものが生まれます。
そういった経費に時間と労力を加えて考えると、その対価を集める行為にでるのも仕方がないのかなとも思います。
しかし、さらに上乗せをした時代があったわけです。
記念の回には家元への献上品的な様相で着物や舞台道具を用意したり、名取会など存在するところであれば、名取ともなれば用意するものは別格のものを用意したり、さまざまなものがきらびやかに飛び交っていた時代があったのです。
それらは生徒さんたちに割り勘定ということでのしかかり、行き過ぎたところでは家元への反乱が起きたものです。
起きるのは当たり前で、習いに来ている人は「生徒さん」といえども、社会の中で揉みに揉まれた生活を送っている大人がほとんどで、人生の酸いも甘いも・・・という話にあてはまる人が「生徒さん」なので、計算すればすぐに家元の懐具合は分かるというもの。
反乱という行動を実行に移さなくとも、人の口には戸が立ちませんからそういった醜いお金の話が世間に聞こえていくようになった頃から、発表会を行う以前に「所属する」事までも嫌うようになってきました。
こういった事情もあって、発表会を行うところは減っていき、正しく運営している先生達をも巻き込んで今の現状が生まれていきました。
しかし、それでもある一部のひとは舞台にあがることで積めるものを諦められない人も出てきました。
ですから、正しく運営されている場所はないか、と四方八方手をつくして探しにあるいた人もいるぐらいです。
実際にそういう話をしてくれた人を多く知っています。
現在存続しているところは、ほとんどが正しく運営されている教室になっているはずですし、皐月会は間違いなくそんな運営がなされている会(教室)です。
6回=6年間。
その時間のすべてがこの日に発表されます。
ぜひ、お立ち寄りいただきその成果を、そして舞台に上がり楽しんでいる姿を感じて頂けたらと思います。
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